生活だけが人生だ

ぽんこつ社会人の めそめそメソッド

冬の日の話

 

7時に起きようと思っていた。

結局ベッドから出たのは10時前だったけれど、日曜なので別に良かった。行こうと思っていた展示をゆっくり観たかったので、午前中には出発しようと思っていただけだった。午前出発は早々に諦めて朝食をとることにした。デニッシュブレッドをトーストして、コーヒーを淹れる。コーヒーは市販のドリップバッグで、これは学生時代からなんとなく飲んでいるものだ。コーヒーは好きだけど、美味しいとかまずいとか細かく感じられる域には達していないので特にこだわりはない。録画した番組を観たりしてダラダラと準備していたら、とっくに昼を過ぎていた。ひとりで出かける時は、時間を気にしなくていいから楽だ。

 

外に出ると、思ったより寒かった。このところ毎朝、思ったより寒い。たぶん布団で寝てる間に、外が寒いことを忘れていると思う。

 

美術館のある六本木に着いてすぐにラーメンを食べた。金曜あたりから食べようと決めていた柚子塩ラーメンは、思いつきで食べるより美味しいと思った。そういえば、同じ店のラーメンを、学生時代の友人であるサカヤンと遊んでいる時に食べたことがある。

サカヤンはカノンちゃんという女の子と付き合っていて、カノンちゃんは私とサカヤンの共通の友人だ。ふたりともあまり束縛するタイプではなく、異性の友人に嫉妬することは多くなさそうだ。それを知っていてもサカヤンとふたりで出かけるのには少し居心地の悪さを感じた。

あの時は正直はやめに帰りたかったので、ラーメンを食べて「シメ感」を出し、解散に持ち込もうという目論見だった。人間関係を調整するために食べるラーメンよりも、ひとりで食べる方がずっと美味しい。

 

 

「THEドラえもん展2017」の会場に着くと、「60分待ち」の札が立っていた。テーマはドラえもんというポップなものだけれど、思いっきり現代アートなのでここまで混んでいるとは思わなかった。日曜ということもあって子連れのファミリーが多い。作家陣の中には過激な作風の人の名前もあったので、子どもとの相性が気になった。

 

「ねーママードラえもんの遊べるところなんかないじゃんかー」

入場5分ほどで目の前の子どもが言い放った。この子は「日曜にドラえもんと遊べる楽しいところ行こうか」というようなことを言われて出かけて来たのだろうか。母親はどこかバツの悪そうな顔をして足早に先へ進んで行った。子どもは思ったことをなんでも言うので少し苦手だ。私はあまり考えや感情を言葉にしないので、子どもの方も私が苦手だと思う。

 

美術館が好きだ。

ざらっとしたホコリっぽい空気が好きだ。壁に飾られた絵画を、カニ歩きで順々に見ていく人たちが好きだ。作品の魅力を伝えるために考え抜かれた学芸員の意図が好きだ。真面目な展示とは対照的な、ミュージアムショップの遊び心に溢れたグッズが好きだ。でも、美術館が好きだということは誰にも言っていない。

 

ほとんどの人は好きなものを共有して仲良くなるから厄介である。私は、自分が好きなものに対して「どれぐらい好きか」を推し量られるのがとても苦手だ。特定の作品を好きだと言った瞬間から「その作品に対してどれぐらい語れるか」を試され始める感覚がする。知識量や変態性で「いかに自分がそれを好きか」を誇示しようとした瞬間から、自分の中の「好き」の気持ちが濁っていく気がする。

感情の純度を守るためには、ひとりで歩くしかない。

 

美術館の外に出ると、やはり寒いことを忘れていて思ったより寒かった。外が思ったより寒かった時「外が寒いこと忘れてた」と言える人が隣にいてほしいとは思う。

 

 

 

 

成長

社会人も2年目になって久しい。「仕事とは」「会社とは」というようなことが、最初のころよりは分かってきた気がする。

自分の思ったように行動すると、たいてい上手くいかなかった。注意されたり、嫌な雰囲気の空気が流れたりした。まわりを見て、注意されていない人の真似をしていたら、上手くことが運ぶようになった。上司からは「成長したね」と褒められた。

見よう見まねでやったことが認められるたび、少しずつ自分の意志が消えていく。その場の空気がつっかえないように振る舞うたび、自分が薄まっていく感覚がする。

日に日に純度が下がっていく自分のからだが、自分のものだと信じられなくなる夜がこわい。

 

ベッドから送信

 

アフター5を知った日

金曜のお昼休み、私は会社の食堂で遅い昼食を取っていた。向かいの席では同期のマキちゃんが、イヤホンで音楽を聴きながら、ノートパソコンで調べ物かなにかをしている。タイミングを逃して昼のピークを過ぎてしまうと、なかなかランチに誘う相手も見つからない。そういう時は、既に食事を済ませて午後の作業に取り掛かっている同期を探して、向かいの席に置かれた荷物をどかしてそこに座り、自分のぼっち飯回避に付き合わせる。今日のマキちゃんは忙しそうだ。午後の会議の時間が迫ってきているのかもしれない。無駄話を持ちかけたら迷惑かなあと思いながら社食のハンバーガーを咀嚼していると、マキちゃんが顔を上げてイヤホンを外した。

「コワィエテン、行かない?」

3回ほど聞き返してやっと、自分が『怖い絵展』に誘われているということを理解した。

 

マキちゃんは「怖い」という感情が好きな人だ。

彼女とは新人研修の時、あまりにも暇だったので、一緒に『シリアルキラー展』を観に行ったことがある。確かその時に「怖い」が好きだと聞いたのだった。詳細までは訊かなかったので、何故好きなのか、どう好きなのかまでは分からない。

「ちょうどサヤコちゃんと今日行こうって約束してたの。」

私が「おけ」と返事をすると、マキちゃんはまたイヤホンで耳を塞いだ。

 

サヤコちゃんは長女である。

弟と妹がいると聞いたことがある。これはなんとなくの印象だけれど、サヤコちゃんは本来の人間性的には末っ子気質なのではないかと思う。たまたま第一子に生まれたがために、「しっかりしなきゃ!」という意識を育まれたタイプだと思う。

 

この日もサヤコちゃんが先に美術館でチケットを買っておいてくれた。サヤコちゃんは出先から直接向かい、私とマキちゃんは会社から一緒に行く予定だったのだが、マキちゃんの仕事が終わらなかったのだ。マキちゃんを待つ間にスタバであたたかい飲み物を買った。期間限定のラテは、フリーズドライカリカリになったラズベリーか何かがトッピングされていた。普段はあまり買わないけれど、金曜なので少しぐらい贅沢してもいいか、と思ったのだ。会社のエントランスにはクリスマスツリーが飾られている。なんとなく、ツリーの横に立って待つことにした。

 美術館のある上野へ向かう途中、電車の中でマキちゃんはずっとそわそわしていた。「慌てて出てきたからやり残した仕事があるんじゃないか不安」と言ってブツブツつぶやきながら何度も手帳を開いて確認していた。開かれたページには罫線を無視した大きな文字でメモが書かれていた。マキちゃんは罫線を気にしない人だ。

 

その日は雨が降っていて、駅から美術館まで急ぐのに傘が邪魔だった。マキちゃんは自分のせいでサヤコちゃんにひとり寒い思いをさせている自責からか、相当な早足だった。私はその後について走っていたはずだったのだが、突然背後からマキちゃんの声で名前を呼ばれた。全く知らない人の傘を追いかけていたらしい。

 サヤコちゃんは大きなビニール傘をさして列に並んでいた。イチョウの葉っぱがプリントされた珍しい傘、と思っていたら無地の傘の上に本物の葉っぱが張り付いているだけのようだ。周りを見渡すとみんなイチョウ柄の傘をさしていた。美術館がある上野の森公園は紅葉の名所でもある。

 

『怖い絵展』はとても人気で、平日だというのに長い行列ができていたけれど、客たちが苛立っているような様子が無かったのが印象的だった。

みんなSNSなどで前情報を仕入れていて、心づもりをして来ているのだろう。美術館スタッフの案内が丁寧でスムーズだったこともあるかもしれない。私が捨てそびれたラテのカップを邪魔くさく思っていたら、スタッフが代わりに捨ててくれたりもした。

 

この展覧会は解説が肝だ。少なくとも私たち3人はそう思っていたので、入館するなり真っ先に音声案内の機器を借りた。結局、観覧を始めたのは閉館40分前だった。それに対して音声案内は約30分だったので、その中で解説されていない作品は飛ばして観る必要があった。結果的には、時間的にも体験的にもちょうどよかった。混み合う館内で元を取ろうと無理に全作品を観ようとしても、どうせほとんどは忘れてしまうし、残るのは人混みに揉まれた疲労感だけだ。プロの学芸員がオススメするものだけをじっくり鑑賞する方が、よりリッチな絵画鑑賞になるのではないかと私は思う。

 

展示は、一言で言うととても良かった。内容についての感想は後日改めて語ろうと思う。後日改めたいくらい私の中で豊かな体験となったのだが、マキちゃんとサヤコちゃんの感想は案外あっさりしていて、なんと言っていたか覚えていないくらいだった。二人はこの後何を食べるかで盛り上がっていた。

 この日はとても寒かったので、私たちは温かい料理フィルターをかけて店を探した。しかし結局、どこも混んでいたので鳥料理のお店に入り、焼酎のお湯割であたたまることにした。10分ほど店の前で待つ間、忘年会らしき団体がクリスマスツリーの前で記念写真を撮る様子などをボーッと眺めていた。東京に来てはじめてのクリスマスは、何故か去年までより少しワクワクしている。彼氏ができた訳でもないのにそう思うのは、ただただ東京という街のクリスマス演出が上手いからだと思う。

 

「オオツキさんと付き合うことになりました」

サヤコちゃんには以前からオオツキさんという好きな人がいて、二人で飲みに行ったり趣味のライブに行ったりと積極的にアプローチしていた。サヤコちゃんから話を聞くに、いい雰囲気そうなのでいずれ上手くいくだろうとは思っていたけれど、改まって報告を受けると友人として嬉しかった。私の学生時代の友人たちはあまり恋愛に積極的でない人が多かったので、サヤコちゃんから聞くエピソードたちはリアルで、羨ましくて、それが楽しかった。寒いからと焼酎のお湯割を飲んでいたのに、いつしかよく冷えたワインに切り替わっていた。

 

美味しい料理とお酒と、恋の話と、家族の話、仕事の話をして、これが社会人の楽しみ方なのだなと思った日だった。

 帰る頃には酔っていたこともあり、電車に乗ってからの記憶はほとんどない。たぶんすぐに家に帰ってぐっすり寝たのだと思う。

 

  

怖い絵 (角川文庫)

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